2007年12月20日

音響空間のポリティクス【4】

インターネットを検索してみたら、犯罪を減らしていこうという運動のためのキャンペーンソングが意外にいっぱいあることを知ってとてもおどろいた。それぞれどのように活かされ、成果をあげているかわからないけれども、とにかくたくさんあることにおどろいた。
なかでも興味深いと思うのは、宮城県警の万引き防止キャンペーンソングの使い方。NHK総合のテレビ番組『難問解決!ご近所の底力』の3月23日放送分(その回のテーマは「防げ!万引き」である)でも紹介されていたのですが、これが面白かった。
キャンペーンソングは、宮城県警の少年補導職員が発案したもので、この趣旨に賛同した仙台在住の作詞家、作曲家が制作した。曲名は、。前の「マンボ」はラテンアメリカ音楽のマンボ。後ろの「マンボー」は「万引き防止」をつづめた「マンボー」。「マンボ DE マンボーダンスコンクール」などというイベントも実施されている。さらにそのマンボを魚類のマンボウになぞらえて「マンボウマスコット」なんていうキャラも誕生した。
ダンスやキャラは余談として、おどろいたのは、キャンペーンソングを使ってちゃんと成果をあげられているということ。

『難問解決!ご近所の底力』で、成果をあげられる使い方として紹介されたのは、店内の客があやしい素振りを見せたら、つまり、万引きしそうかもしれないと思ったら、さりげなく「マンボ DE マンボー」をプレイ、店内に流して聴かせるという戦術。不審なんだけれども確信はない、直接的には働きかけにくい、そんなとき音楽をかける。いかにも簡単そうなことだけど、こんなことだけで成果を上げられているというから意外だった。つまり、万引きを止めさせることに成功している、ということだ。

あやしいぞ、と思われた客がみんな万引きするつもりだったかというとそうではないだろう。でも、成果があがっているということは、そうした客の中に万引きをするつもりだった人がいて、そしてその人たちは「マンボ DE マンボー」を聞いて、何をどう判断したのかはわからないけれども、とにかく万引きを思いとどまった、と考えるほかない。
興味深いと思うのは、そこ。その人が自分で判断して、そのとき万引きを行わなかったというところだ。見られているぞ、というシグナルにもなりますからね。

番組によれば、宮城県警のこのキャンペーンの基本は、「万引きは犯罪である」ということを認識してもらうことに置かれている。また、万引きがどれだけの人々をどのように苦しめているかを知ってもらう活動も、普通に地道に行われているみたいだ。万引きを思いとどまらせ、万引きを繰り返している人にはよく考えて更正するよう働きかけ、そういうキャンペーンだ。
言い換えれば、キャンペーンは、更正する主体に対する信頼が支えている。
ま、普通といえば普通っぽいですね。正攻法的な。

犯罪の抑止を目的にして音楽を利用するということでは同じでも、バリー・マニロウの歌を流して騒々しい"carhoons"を通りに寄せ付けないようにしようというプランは、宮城の試みとぜんぜん違う。
"Trouble with gangs? Put on Manilow"(Telegraph, 2006/06/06)
"Manilow to drive out 'hooligans'"(BBC NEWS, 2006/06/05)
比喩的になるけど、宮城の取り組みは、「意味」による「歌」のプランだとも考えられる。更正する主体に対する信頼に基づいて、基本的には言葉(歌詞)で語りかけてモラルを説いている。歌詞にあるように「キミのココロ 信じてる」というメッセージが基本。
宮城県警察/万引き防止ソング 歌詞
それに対して、バリー・マニロウのプランは、これもちょっと(自分でも)わかりにくい表現だけれども、「意味」によらない「音/楽」のプランだということになるかもしれない。「迷惑行為はやめよう」というメッセージがマニロウの音楽に託されるわけではないし、法律によってきっちり取り締まろうというわけでもないし、かといって言葉でモラルを説いたり、交渉するのでもないから。更正する主体に対する信頼についてはまた別問題であって、さしあたって厄介のもとになる集団によそへ行ってもらうことが重要だ。また、宮城の取り組みが、「あまえてちゃ ダメ ダメ」と歌い、我慢し合って暮らしてゆくことを受け入れてもらうことに重点を置いているとすれば、マニロウのプランは、分断することによって不安要因を取り除くことに重点を置いているとも言える。

どちらが良いのか悪いという話ではないわけだけれども、どちらを選択したらいいのか。前にも書いたが、他者の主体性をどう認め、どう信頼を寄せることができるかは、どのような共同体をどのように成すのかという問題と密接に結びついている。どちらが良いのか悪いという話ではないわけだけれども、どちらを選択するかを見ていけば、そこにその社会の未来が見え隠れしているのかもしれない。
posted by 奥島 俊輔 at 23:18| Comment(0) | 音響空間のポリティクス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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