わが家の松飾りである。折形(おりがた)は「木の花包み」というもの。妻が作ってくれる。手漉きの檀紙に赤いもみ紙、それに金銀もしくは紅白の水引を結ぶ。つくりがシンプルなので簡単に作れそうだと思ったが、見た目ほどやさしくはなかった。もっと簡単な箸袋(正月の柳箸を入れる)を習ってみたがそのシンプルさこそが曲者で、僕はついにきちんとしたものを作れなかった。何度折ってもそれらしく整わず、折り直しているうちに紙がだんだん柔らかくなっていってしまう。
長形3号の封筒に入れるためにA4判の印刷物を3つに折るけれども、そういえば僕はこれが苦手でいっこうに上達しないのであった。要するに基礎がなってないということかもしれないけど、練習を続けていれば何かイマジナリーな折り目のようなものが何もない紙の上にスッと見えてきたりするのだろうか。
難しいながらおもしろいと思ったのは、これが紙の厚さを考えに入れながら立体的な作品として仕上げる作業だということだった。小さいころ折り紙をやりながら、紙の厚さに苦労させられたのを思い出した。言うまでもないことだけれども、複雑な折り紙ほど紙厚を計算に入れなければならない。場合によってはテクニックだけではどうにもならず、大きくて薄い紙を使わないときれいに仕上げられない。日常生活では紙の厚みを生かして何か作るといったことはそんなにないし、そういう意味でも新鮮だった。
折形は1つ余計に作ってもらい、ほかの物品と一緒に函館の実家に送ってみた。
実家では松を飾らない。玄関には注連飾りだけである。うちはそうだけれども、母方の祖父の家ではどこからか切ってきた松を半紙に包み、玄関先に結わえ付けていた。そんな懐かしさと興味関心もあって実家の面々には喜んでもらえたようで良かった。
ただ、この木の花包みにはひとつ重大な弱点があって、水に濡れると内側の赤いもみ紙の色がでろでろ〜と流れてしまうのである。函館は外は雪だったので、玄関の中に飾ったということだった。
門松や松飾りも地方や家によってさまざまなのだろう。竹の切り方や松の揃え方、竹なしで松だけ飾るとか松なしで竹だけ飾るとかいろいろあるらしい。僕が住んでいる国分寺ではこんな話もある。
「府中市出身の家では、門松を立てない家があり、竹だけで飾るという家もある。いわれは、明神様が八幡様に待たされたので、「待つのは嫌だ」から、「松は嫌だ」ということになり、松を飾らないのだという(国分寺市民俗調査団・編『国分寺市の民俗2 ― 国分寺村の民俗』、国分寺市教育委員会文化財課、1992年、p.148)」。
国分寺村の話だというから、現在の東元町・西元町のあたりのことだと思う。国分寺崖線上(武蔵野段丘)の新田地域とは異なり、昔から水に恵まれ水田があった地域にはさかのぼれば府中出身というお宅もあるということなのだろう。
ちなみに引用中の「明神様」というのは大国主命のことで、八幡様というのは府中市八幡町にある武蔵国府八幡神社に祀られる八幡様のことなのだそうである。そういえば大国魂神社の境内には松の木が一本もないという話があるけれども本当だろうか。
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